今回は6月にある日本代表でもしかしたら呼ばれるかもしれない選手の一人である菊池流帆選手のプロフィール・この選手の度重なる挫折からの復活・プレースタイル・最後にまとめとして個人的な期待を書いていこうと思います。それでは行きましょう!
プロフィール
正直、マリノスすごい強かった。
完敗だった。
日本一目指してるのにこんなんじゃ全然ダメだ。
もっと上手くならないと。強くならないと。
またこっから這い上がる。 pic.twitter.com/C7xcX3oLsN— 菊池流帆/Ryuho David (@ryuupei4) May 10, 2021
名前 | 菊池流帆 |
生年月日 | 1996年12月9日 |
身長・体重 | 188cm・80kg |
血液型 | O型 |
出身地 | 岩手県釜石市 |
挫折からの復活劇
高校卒業までの挫折
菊池選手は7歳からサッカーをはじめました。しかし、中学2年生の時に東日本大震災が起こります。この災害によって小学生時代のサッカーのコーチを失い、練習グラウンドを失いました。
この状況にサッカーへの希望を失いかけましたが、横浜FCが釜石市で開いたサッカー教室で三浦知良選手とプレーをしたり、被災地に訪問しに来たラモス瑠偉氏、名波浩氏、福西崇史氏らの姿に励ましを受け再びサッカーに取り組むようになりました。
高校では青森山田の特待生を目指したものの、セレクションで不合格となってしまい、普通は挫折するところですが菊池選手は諦めませんでした。
なんと一般入学で青森山田高校を受験し、合格を果たしました。
入部してからも試練が待ち受けており一番下のチームからのスタートでした。一番下のチームの環境はかなりひどい環境でしたが、3年生の時にはレギュラーを獲得しました。選手権大会は初戦敗退とあっけなく終わってしまったものの、その大会の優秀選手に選ばれるレベルまで上り詰めました。
高校卒業するまでに震災、厳しい高校での部活の環境の経験が今の菊池選手の雑草魂を作り上げたことだと思います。
高校卒業後の挫折
大学では1年時からAチームで出場をしていましたが2年生時に怪我をしてしまい苦しむものの、3年生時にユニバーシアード台北大会の代表にセンターバックで選ばれ優勝の立役者となりました。
3年生までは比較的順風満帆な生活を送っていましたが、4年生時に再び怪我をしてしまい、ポジションを奪われてしまいました。その結果Jリーグからオファーが届きませんでした。
そのため、コーチと協力をして色々なチームの練習に参加した中でレノファ山口のみがトレードマークともいえる雄たけびを評価し、プロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせました。
プレースタイル
188㎝80㎏と恵まれた体格を生かしたダイナミックなディフェンスが持ち味です。外国籍のFWにも負けない高さと強さでロングボールを跳ね返し続けます。リーチの長い足を生かした守備も特徴的です。リーチが長いので間合いがとにかく広く、相手がフェイントで仕掛けるときも、自分の間合いに入れば、つつきボールを奪取します。シュートコースに入り、大きな体でのシュートブロックはシューターにとってかなりのプレッシャーになります。
さらにスピードも一定水準あり、ハイラインを敷いている、昨年所属のレノファ山口のDFラインの裏の広大なスペースをカバーし、スピード豊かなアタッカーにちぎられない、どころか完全に裏に抜けられても追い抜く場面さえ見せました。
また「絶対に失点させない」という熱い戦う姿勢を前面に出したプレーぶりは、応援しているチームに関係なくスタジアムにいるすべての人を魅了する。絶体絶命のピンチを救った後のガッツポーズは最高だ。気持ちを前面に出してプレーする選手が減った昨今において、菊池のような選手は貴重な存在です。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
今回は菊池選手について解説していきました。私自身すごく好きなタイプの選手ですので今後日本代表に呼ばれるのか楽しみです。実際おそらく古橋選手を視察しに来ていたであろう試合で菊池選手は活躍をしていたため、6月の日本代表は少し特殊な状況であるので呼ばれる可能性は大いになると思います。
どこまでいってくれるのか非常に楽しみです。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
また次回もよろしくお願いします。